【解説】世界記憶遺産とは
- 2016/3/22
- 尾道のニュース
ニュース解説 ジャーナリスト 毛利和雄
1948年生まれ。早稲田大学第一政治経済学部卒業。NHK入局後、奈良、大阪局を経て、歴史遺産、景観、まちづくりを担当のNHK解説委員をつとめた。NHK退局後、鞆の浦に在住。これまでの経験を活かし、歴史や文化資産を活かしたまちづくりについて広く伝えている。ラジオ出演や講演活動も多い。 |
※この記事は3月21日(月)に放送分の内容を記事に再構成したものです。
ユネスコの世界遺産は有名ですが、世界記憶遺産はご存知でしょうか?
ユネスコの世界記憶遺産は、人類の記憶を将来に伝えていくための記録、古文書や絵画などを保護しようという事業です。朝鮮通信使の記録など日本から3件が推薦され、来年、登録の可否が決まります。きょうは、ジャーナリストの毛利和雄さんに、お話を伺いました。
朝鮮通信使といえば、毛利さんがお住いの鞆にも立ち寄ったのですね?
朝鮮通信使は、江戸時代に徳川将軍の代替わり毎に、朝鮮王朝が派遣した祝賀使節でで、大阪までは水路、淀川を船でさかのぼり、その後は陸路で江戸まで出向きました。そのため、朝鮮通信使が宿泊した瀬戸内の港町には、鞆もその一つですが、朝鮮通信使を描いた絵画や朝鮮通信使の高官が残した書や額などがたくさん残されています。
鞆では、福禅寺に対潮楼という専用の宿泊施設が造られ、今でも、その窓から望める仙酔島など瀬戸内の景色が日本でも最も美しいとして「日東第一形勝」と記された額や「対潮楼」の額などが残されています。
朝鮮通信使が宿泊した地域の自治体が、縁の地ということで「朝鮮通信使縁地連絡協議会」を結成しています。韓国では、朝鮮通信使はプサンから出発したことからプサン文化財団が顕彰に取り組んでおり、ユネスコの世界記憶遺産への推薦は日韓共同で推薦することになりました。
日本と韓国の間で歴史認識をめぐって軋轢もあっただけに、友好に向けて前向きな動きですね?
そうです。朝鮮通信使に関しては、当初、世界遺産をめざそうという動きもあったのですが、世界遺産は不動産文化財、港の施設とか、関連の建物とか使節が通った道路とかが今でも維持されていないと難しいのです。
鞆では比較的さまざまなものが残っており、岡山県の牛窓では本蓮寺、静岡市の清見寺などゆかりの寺が朝鮮通信使遺跡ということで国の史跡に指定されていますが、全体としてみた場合には、あまり残っているとは言えません。韓国側でも、そうした事情がありますので、世界遺産と言わず世界記憶遺産をめざそうということになりました。
日本から、3件推薦されるということですが、もう2件は何ですか?
世界記憶遺産は、2年ごとにユネスコの加盟国から推薦を受け付け、一つの国から一回あたり2件までとなっているのですが、複数の国が共同で推薦する場合には2件の枠の制限にとらわれず推薦できることになっており、朝鮮通信使の記録がそれで、日本単独で推薦するのは、今から1300年ほど前に日本の古代国家が出来上がるころに作られた石碑である上野三碑(こうづけさんぴ)と、もうひとつは、杉浦千畝という外交官が、ソ連やヒットラーのナチスドイツから迫害を受ける恐れがあったユダヤ人が北欧三国のひとつのリトアニアから出国できるよう発行したビザ、命のビザとも呼ばれていますの2件です。
上野三碑と命のビザの二つの世界記憶遺産をめざすシンポジウムが最近、群馬県であって、毛利さん、行ってこられたそうですね?
群馬県は、古代の上野国で、群馬県高崎市に三つの石碑があるので、上野三碑と呼ばれています。この上野三碑の世界記憶遺産への登録をめざす推進協議会があって、その会長をNHKの解説委員室で私の大先輩である横島庄治さんがされていることかもしれませんが、シンポジウムをするのでコーディネーターをしてくれということででかけてきました。
シンポジウムは、今月6日の日曜日に高崎市で行われました。
命のビザの方は、杉原千畝さんの生まれ故郷が岐阜県八百津町(やおつ丁)で、町が世界記憶遺産の登録に取り組んでおり、シンポジウムには八百津町の金子正則町長も出てこられてエールの交換が行われました。
高崎市の特産がだるまなので、二つの大きなだるまが用意され、それぞれに片目を入れて共同登録をめざすことを誓い合いました。
命のビザは、映画になって上映されていますね?
映画も見ておきたかったのですが、残念ながら見ることができていません。
シンポジウムの当日は、命のビザについては、杉原千畝の長男の妻の杉原美智さんが講演されました。杉原は、第二次世界大戦中にリトアニアに派遣された外交官で、ナチスの迫害から逃れてきたユダヤ人を含むヨーロッパの避難民に大量のビザを発給し、それらの人々がシベリア鉄道で極東まで来て、船で日本の敦賀に逃れ、そののちにアメリカやオーストラリアなどに逃れたのです。
ナチスの迫害から避難民を救ったと言われてきましたが、外務省の資料館に残っている記録を調べた白石さんの研究で、リトアニアに逃げ出したのはドイツだけでなくソ連からも攻められたポーランドからのユダヤ系避難民で杉原に救われたことが明らかになりました。
杉原が発行したビザで日本に逃げてきた避難民の中には、日本からの渡航先がない人もおり、外務省から、今後はビザを発給するなという電報で指令を受けたが、杉原は、糸番重考え抜いた結果、ビザを拒否しユダヤ民族の恨みを買うことが国益にかなうのかと悩んだうえで、私はついに人道・博愛精神第一という結論を得た。そして私は何も恐れることなく、職を賭して忠実にこれを実行しえたと晩年に執筆した手記に記しています。
上野三碑は、どういうもので、どのような価値があるのですか?
今から1300年ほど前に作られた石碑がすぐ近くに三つあります。
山上碑は、西暦では681年に作られた日本に完全な形で残っている最古の碑で、亡き母を供養するために建てた碑で、すべて漢字で記されていますが、日本語の語順で読めることから、日本語の流れを解き明かすうえでも価値が高いものです。
多胡碑は、上野国に多胡郡が造られた経緯を記した石碑で711年ころ建てられました。当時の中央政府の三人の首脳の名前が記されています。
金井沢碑は、726年に建てられ、祖先供養と一族で仏教集団をつくって繁栄を祈る内容です。
多胡碑の近くでは、郡役所の近くにあった倉庫跡が最近発掘で明らかにされ、郡役所を引き続き明らかにしなければいけない課題もあります。
高崎市から出ている私鉄の上信鉄道には、沿線に世界遺産に登録された富岡製糸場もあり、さらに来年には世界記憶遺産も生まれれば世界遺産鉄道として輝きがまし地域の活性化に活かしていかなければいけないという意見も出されました。
尾道では日本遺産を活かしたまちづくりや観光振興が課題とされていますが、全国各地で歴史遺産を活かしたまちづくり、観光振興に向け様々な試みが盛んです。