番組へのメール 番組へのお問合せ

【解説】JR尾道駅建て替えについて

mourikazuo.jpgニュース解説 ジャーナリスト 毛利和雄
1948年生まれ。早稲田大学第一政治経済学部卒業。NHK入局後、奈良、大阪局を経て、歴史遺産、景観、まちづくりを担当のNHK解説委員をつとめた。NHK退局後、鞆の浦に在住。これまでの経験を活かし、歴史や文化資産を活かしたまちづくりについて広く伝えている。ラジオ出演や講演活動も多い。


※8月15日(月)放送の内容をWeb用に再構成したものです。



尾道市の玄関口として親しまれてきたJR尾道駅が建て替えられることになり、市民の間から別れを惜しむ声が出ています。きょうは、JR尾道駅舎の建て替えについてジャーナリストの毛利和雄さんについてお伺いします。


JR尾道駅の立て替え案とはどのようなものなのでしょうか。そしてそのスケジュールは・・・



今の駅舎は平屋で洋館ですが、新しい駅舎は鉄骨造りで地上2階建てです。 いずれも横に長い駅舎ですが、今の駅舎には両端に三角形の半切妻の妻が乗っています。
今の駅舎は2代目の建物なのですが、新駅舎は初代の駅舎、瓦葺きの屋根で軒が深く出ている和風の建物をイメージした建物です。JRでは日本遺産尾道の「尾道水道が紡いだ中世からの箱庭的都市」に即した建物で“まちなみ”と融和すると説明しています。そのことについては、このあとでまた考えてみたいと思うのですが、まずは新駅舎について。


1階コンコース、吹き抜けで天井から自然光を取り入れ、海から山へ抜ける開放的な空間にするということです。ホームの部分というのは今とは変わらないということです。


2階は屋根の一部をくりぬき、眺望デッキが設けられ尾道水道を楽しめるようになっています。
駅から直に海を望めるのは、山陽線の中でも尾道駅しかないと思うのですが、これを活かしたものにするということです。
開業時期は平成30年夏頃、2年先ということです。


では、なぜ建て替えが必要なのでしょうか


今の駅舎は、昭和5年に建てられたということで、耐震補強が必要だということから建て替えについての話が始まったようですね。
駅舎建て替えは通常、立体化して自由通路を造り市民が駅を通り抜けられるようにします。このため便利になる分を地元でも負担してくれとなるのが普通のようです。ところが今度の尾道駅の建て替えはそうなっていません。自由通路はありませんが地元負担もありません。今の通路は地下道ですが、それを活かしてきれいにするということです。平谷市長に聞くと、JRと尾道市との間で、さまざまな駆け引きがあったようです。JRが全額負担するのは、京都駅などに次いで3番目です。
JR尾道駅は、小さい駅ですが市民だけでなく全国からの観光客にも親しまれています。また、景観の面から見ると市民が親しみを感じるものは大切だから、今の駅舎をリニューアルする方がいいのではないかという考えも成り立ちます。文化財保護法にも登録文化財という制度があり、リニューアルして保存していく制度があります。

そうではなく、建て替えるというのは観光の新たな拠点にしようということなのでしょうね?

JRでは、せとうちエリアを周遊するお客の新拠点にし、地域の魅力発信の場にしたい。せとうちエリアは、穏やかな海と暖かな気候に恵まれ、「クルーズ」「宿」「サイクリング」「アート」「食」といったテーマでさまざまな取り組みが進められています。尾道は本州・四国を結ぶ「せとうちの十字路」に位置し、「世界有数のサイクリングコース:しまなみ海道」の本州側の出発地として、新しいまちづくりが進んでおり、その新しい拠点にしたいということです。
新しい駅舎には、宿泊施設、サイクリスト向けのショップの他、店舗スペースが設けられます。






観光都市尾道の象徴とも言える駅舎にしたいということですね?

JRはそうでしょう。尾道の街にふさわしいかどうかを考えるにあたって、今の駅舎をイメージしたものではなく、初代駅舎をイメージしたということですので、尾道の街と尾道駅舎の歴史について見ておきたいと思います。
尾道に山陽鉄道が敷設されたのは明治24年です。3年後の明治27年には日清戦争が始まり、広島に大本営が置かれることになるのですが広島まで早く鉄道を敷設する必要がありました。

初代駅舎は、瓦葺き和風建物と洋館が西側に併設された、やはり先進デザインの建物でした。


二代目が今の駅舎 昭和5年に建てられました。



今は海側に建て増しされているので、道路を渡らないと屋根が見えませんが。尾道市立大学の非常勤講師で、建築士の渡邉さんによれば、「翼を広げた鶴ようなのびやかな寄棟の平屋、両端部に半切妻の妻をもつシンメトリなデザイン。今は人工スレートに葺き変えられているが、当初はフランス瓦だったという」ことです。 


今の駅舎を懐かしく感じるのは、屋根の形式が、駅から千光寺山を見上げた時に 目に入る洋館群と同じで一体となって景観を形成しているから。立てられた時期も同じく昭和の初期です。

洋館は、大正時代に起きた関東大震災のあと造られるようになりつまり大正時代末期から昭和の初めに東京近辺で流行しました。尾道も当時繁栄していたのでその形式が取り入れられ、ハイカラ都市尾道を示す歴史遺産です。尾道の中世以来の箱庭的都市というのは、どこかひとつだけの時代の遺産が今に続いているとか、遺されているというものではなく、さまざまな時代の遺産が今に続いているということです。したがって、初代の和風の駅舎をイメージしたものが、尾道のまちなみにふさわしいかどうかは意見が別れるところではないでしょうか。

JR尾道駅といえば、尾道の玄関口、尾道を音連れた文化人や作家、芸術家など沢山いらっしゃますね

作家では、林芙美子、志賀直哉、横山美智子などもいますし、画家としては尾道では小林和作さんが有名ですが、元々は尾道の方ではないですから、そういう意味では尾道駅に訪れた芸術家ということですね。その中で、林芙美子について見てみますと、家族で大阪に行商に向かう途中に尾道駅に降り立って、そのまま尾道で商売することになります。尾道駅に降り立ったのは芙美子が13歳のとき。大正5年です。当時は初代の駅舎があった時代です。芙美子は土堂小学校の5年に編入して、卒業したあと尾道市立高等女学校をへて大正11年に19歳で上京します。当時もまだ初代駅舎です。上京後、芙美子は女工や事務員、女給を点々として厳しい生活を強いられるわけですが、そうした日々を『放浪記』にまとめて昭和5年に発行。大当たりをし、その印税で昭和6年、フランスに留学するのですが、その前に尾道で講演会に出ています。今の駅舎が建てられたのが昭和5年ですから、昭和6年にはもう新しい駅舎・今の駅舎ができていて、林芙美子を迎えたということになります。
JRが建て替えを発表したときには、多くの方から「今の駅舎がなくなるのですか・・・」と言う声が聞かれました。そこで「さよなら尾道駅」というシンポジウムを計画しています。まだ計画がまとまっていませんので、後日お知らせしたいと思います。